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蔵王山展望台でお菓子投げ♪ 7月7日(日)

道の駅田原めっくんはうす内 観光案内所からのお知らせです♪


◎蔵王山展望台にてお菓子投げ が開催されま~す!!

 2019年7月7日(日)11時~ ※雨天決行

  

蔵王山展望台では七夕イベントも開催中です☆
『渥美半島で一番天国に近い場所から星に願いを届けよう!』

 2F「蔵王 PanoramaCafe」にて短冊をご用意しています。

 願い事を書いて4F「展望フロア―」の笹に飾ってください。

 願い事がかないますように☆★☆

  ※7月7日(日)11:30から宮司さんがご祈祷をします。


★紙芝居「七夕物語」 10:45~

★すいか割り (お菓子投げのあと)

 

蔵王山展望台のお菓子投げは、子どもたちに

「ふるさとの思い出に残る場所にしたい」という願いから

始まりました。

蔵王山でみんなと一緒にたくさんの思い出をつくりましょ~♪

ぜひ、遊びに来てください(^O^)/


✿あじさいロードのあじさいが咲き始めました✿ (6月21日現在)

 蔵王山展望台にある約100メートルほどの遊歩道『あじさいロード』で

 アジサイが見られます。 

 ホンアジサイやガクアジサイがあじさいロード両側や斜面にそって咲きます。
 現在は咲き始めです。
 毎年7月下旬くらいまで見られます♪
 
  ✿ 蔵王山展望台あじさいロード開花(ユーチューブ) →→ ♪♪♪  
    
  ※蔵王山展望台撮影 (2019年6月21日現在)

 

あじさいロードは蔵王山展望台第一駐車場北側にあります。
 

 
ぜひ蔵王山展望台にて自然を満喫しながら季節のアジサイをお楽しみください(^○^)



お問い合わせ先: 蔵王山展望台

         TEL 0531-22-0426

 

道の駅田原めっくんはうす からお車で約15分くらいで蔵王山展望台まで行けます。

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宮川春汀さんって、知ってる?

 渥美半島観光ビューローのブログをご覧の皆さま、こんにちは♬
今日は、先日書いた『椰子の実を唄う』の回でちょこっと登場した『宮川春汀(みやがわしゅんてい)』のことを・・・。


 宮川春汀さんってね、かいつまんで言うとね。
①田原市福江町(旧・畠村)出身の挿絵画家さんでね。
②自分の故郷である渥美半島のすばらしい景色や人々の温かさが大好きでね。
③詩人や文豪仲間であった柳田國男、田山花袋、太田玉茗などに、伊良湖岬を訪れるきっかけを与えた人でね。
④その柳田國男が、流れ着いた椰子の実を見つけてくれてね。
⑤この柳田国男の話に心を打たれた島崎藤村が、詩歌『椰子の実』を書いてくれてね。
⑥作曲家の大中寅二さんが曲を作ってくださってね。
⑦唱歌『椰子の実』が誕生した・・・というね、彼・宮川春汀なくしては、唱歌『椰子の実』はなかったんじゃないか・・・って、そんな要(かなめ)の人物なんじゃないかな~と、そんな人♬
(・・・これは、おかぴ個人的な主観が入っております。)

今回は、そんな『宮川春汀』の素敵な画集を、田原市博物館さんからお借りしたので、
皆さんに紹介させていただきたいと思います。


『挿絵画家 宮川春汀展   
 編集・発行:田原市博物館 発行:平成22年8月28日』より引用

『肉筆画』

『口絵・挿絵』
★こちらの画集は、田原市博物館さんよりご寄贈いただき、めっくんはうす1階の観光案内所でご覧いただけます。
どうぞお気軽にお声がけください。

◆宮川春汀の生涯◆

宮川春汀は、明治6(1873)年11月11日、畠村(現在の田原市福江町)の当地きっての豪商であった渡辺家の次男として生まれ、守吉と名づけられました。生家の渡辺家は、代々長右衛門か五郎右衛門を名乗り、畠湊の河岸通り(福江町下地)で廻船業と薬種問屋を営んでいました。その昔、身分の高い人たちの宿に使われた事から地元では「宿本(しゅくもと)」あるいは「お宿(しゅく)」と敬称され、後にはその屋号が「宿本屋」と呼ばれるようになりました。かの伊能忠敬が沿岸測量のため、享和3(1803)年に畠村を訪れた際には、ここに宿泊したことが記録されています。
14歳となった守吉は、こちらも畠村の旧家で当時絶家となっていた宮川善左衛門の名跡を継ぎ、宮川の姓を名乗ることになりました。この宮川家も畠村七党(宮川、天野、荒木、松野、竹本、朽木、戸田)の流れを汲み、南北朝時代には、原の島へ潮音堂が建立された際に、その開基に助力し、現在の潮音寺(福江町)が寺格を持った際にもこの家が中興開基者となって大きな功績を残したとされた家でした。

明治23(1890)年、17歳の時、幼少の頃からの夢であった画家を目指して東京に行き、挿絵界で活躍していた画家富岡永洗の弟子となりました。そこで一生懸命に画を勉強した守吉は、師匠より最初「蓬斎洗圭」の名前をもらい、「風俗画報」という雑誌に初めての挿絵が掲載されました。その後、作品の制作が軌道に乗り始めた明治28(1895)年に「春汀」と改名して、宮川春汀が誕生しました。
その名を春汀とした翌年からは、錦絵(色刷りの浮世絵版画)にも挑戦します。春汀の錦絵は、特に子どもの遊びや生活の様子を描いたものや美人画にすぐれ、その名は徐々に知られるようになりました。しかし春汀は、熱中していた錦絵の制作を5年でやめ、以後は再び挿絵画家としての道を進むこととなりました。

明治30(1897)年、結婚をきっかけにその新居を本郷に移した春汀は、ここで多くの文人たちと交流を深めることとなりました。春汀は、詩人の太田玉茗と親友になり、玉茗の部屋に集まる友人たちに自分の故郷である渥美半島のすばらしい景色や人々の温かさについて話をしました。その話に関心を持った柳田國男、田山花袋、太田玉茗などが後に伊良湖岬を訪れることとなりました。

明治32(1899)年になると、大手雑誌社であった博文館から少年文学関係雑誌への挿絵の仕事が増え、明治37年からは、大人向けの小説などの挿絵も担当するようになりました。

明治38(1905)年、不幸にも最愛の長女を電車事故で亡くした春汀は、挿絵画家ではなく、日本画家としての活躍を夢見るようになります。しかし、これに失敗すると芸術上の悩みも加わり、ノイローゼのような状態になってしまいます。こうして、大正3(1914)年に病気となった春汀は、その年の7月26日に41歳という若さで亡くなりました。


上記、田原市博物館の解説より引用させていただきました。

田原市博物館のご担当の方々に、多くのご協力をいただきました。

ありがとうございました♬

♬田原市博物館のHPはこちら→→→→★★★★★




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【@tahara_kurashi #たはら暮らし】たはらごよみパネル、休暇村伊良湖(きゅうかむらいらご)さんに展示♬

渥美半島観光ビューローのブログをご覧の皆さま、
こんにちは(*^^)v

【@tahara_kurashi #たはら暮らし】たはらごよみパネルの続報です。

今日は、休暇村伊良湖(きゅうかむらいらご)さんに設置してまいりました~♬

正面から見ると、こんな感じです。

設置場所は、正面玄関を入って正面、エレベーターホールの壁めんです。

おかぴ、設置状態を、支配人さんと最終チェック中。

ぜひぜひ、休暇村伊良湖(きゅうかむらいらご)さんで、見てやってください。
皆さんが撮られた素敵な菜の花風景を、楽しんでいただけますよ。

前回の記事はこちら♬
↓↓↓↓↓

 
「たはらごよみ」は、@tahara_kurashiに、
素敵なお写真を投稿してくださったフォロワーの皆さんのご協力のもと、
フォトブックとして発刊されています。
 
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赤羽根のしらすと伊良湖の競り見学ツアー♪ 7月3日

こんにちは(^O^)/ 道の駅田原めっくんはうす内 観光案内所です♪

渥美半島体験モニターツアーのご案内で~す!!

渥美半島の漁港めぐり! 
赤羽根のしらすと伊良湖の競り見学ツアー



シラス産地ならではのしらす加工場を見学。ちょっぴりお土産付き!
新鮮な地魚が並ぶ魚市場 仲買人を通してその場で
お魚をお求めできます!
(チラシの注意事項をご覧ください)

●開催日程:7月3日(水)  予備日 7月10日(水)
 ※市場の状況により順延する場合があります
  (あらかじめご連絡いたします)

●浜松市・田原市発 バスツアー

●旅行代金 2720円 (大人・小人 同一料金)
 (行程内交通費、昼食代、見学料、箱代、氷代、保険料含む)

●詳細はチラシをご覧ください!!
 チラシ (表) → ♪♪♪
 チラシ (裏)申込み書 →→→ ♪♪♪

なかなかないツアーです!!
この機会にぜひご参加くださ~い(^O^)/

●お問い合わせ先●
 田原市地域雇用創造協議会  
  TEL・FAX 0531-36-4184

●お申込み●
 豊鉄観光サービス(株) 田原旅行センター
  TEL:0531-23-3121   
  FAX:0531-23-3055

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伊勢湾フェリー55周年 夏のイベントのおしらせ

伊勢湾フェリー55周年記念特別企画のご案内です。
参加費:無料(但し、フェリー乗船代金は必要)
豊橋こども未来館『ここにこ』が伊勢湾フェリーに出張し船内でイベントが開催されます。
ちぎり絵のモザイク(小さな欠片の寄せ集め)を貼って海の生き物を作成しよう!!
みなさんの完成作品は伊勢湾フェリーのターミナルに展示してくれるそうです。
参加費:無料(但し、フェリー乗船代金は必要)
伊勢湾フェリーの船内で、白い陶器のイルカにおえかきをして自分だけのオリジナル作品を完成させよう!
参加費:無料(但し、フェリー乗船代金は必要)
夏休み期間中、船内操舵室見学会を特別開催されます。
こども船長服を着用して記念写真も撮れるそうです。

詳しくはコチラ❀❀❀❀❀
お問合せ:伊勢湾フェリー伊良湖のりば TEL0531-35-6217

もうすぐ夏休みですね♪
お子さんを連れてみなさん参加してみてはいかがでしょうか?

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堀切ロードパーク(あじさいロード)の紫陽花♬

堀切ロードパーク(国道42号線沿いの小塩津町~堀切町~日出町)の紫陽花も綺麗に咲き揃ってまいりました!

堀切ロードパークの詳細は、こちら♬→→→★★★★★


この国道のあじさいは、約3キロほど続いています。

ここは、「渥美半島花いっぱい運動」発祥の地でもあり、

カナリーヤシ(フェニックス)の根元には、約1,800株のアジサイが植えらてれいます。

綺麗な紫陽花を眺めながらのドライブも楽しんでくださいね。

あ、もちろん、安全運転でお願いします♬

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露地系メロンが最盛期です♪

こんにちは(^O^)/ 道の駅田原めっくんはうす内 観光案内所です♪

今の時期、渥美半島はメロン狩りのツアーのバスのお客様、

露地系メロンをお買い求めのお客様でとても賑わっていま~す(^O^)/


渥美半島内では、
露地系メロンのプリンスメロンタカミメロンイエローキングなどが
最盛期を迎えていま~す(^○^)


露地系のネットメロンのタカミメロン!!
肉厚でやわらかく、口当たりがとても滑らかです。
糖度が16度くらいととても高いのですが、甘いだけでなくコクのある味わいです。
手頃にいただけるネットメロンで~す(^○^)


     
                      

 (タカミメロン)     (イエローキング)              (プリンスメロン)

イエローキングは今が一番おいしく、たくさん並んでますよ~!!

露地メロンで黄色いつるつるした球形のメロンです。

果肉は白色をしていて、厚みがあり、まろやかな甘さでやわらかい食感で、

さっぱりした後味です!!


箱入りのご贈答品、お土産品からお得な袋詰め、バラ売りなどがありますよ!!
(販売場所、日、時期によって異なります)














 
イエローキング、タカミメロン、プリンスメロンなどが詰められた
バラエティー豊かなお得なものも・・・
いろいろな味がお楽しみいただけますよ!!(^○^)
(販売場所、日、時期によって異なります)

道の駅田原めっくんはうす道の駅あかばねロコステーションJA愛知みなみ直売所
各メロン農園、サンテパルクたはらなどで販売されています。

いろいろな露地系メロンが揃っている今!!いかがでしょうか~!?
今が本当に本当におすすめですよぉ~!! 

旬のとうもろこし、トマトなども並んでいますよ!!
この機会にぜひ!ぜひ!


渥美半島産のマスクメロンは6月下旬~7月初頃から売店などにたくさん並ぶ予定かと・・・

※写真は道の駅田原めっくんはうす内の売店です。。。 (2019年6月15日の様子)


☆渥美半島ではメロン狩り・メロン食べ放題開催中☆

 メロン狩りの詳細はこちらから →→ ♪♪♪

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お糸船 お糸奉献と伊勢神宮参拝のご案内です。

お糸船 お糸奉献と伊勢神宮参拝のご案内です。

さわやかな初夏の頃となりました。
本年のお糸奉献は、明治34年再興して以来数えて119回目となります。
どうぞご参拝くださいますようご案内申し上げます。

お糸船 お糸奉献と伊勢神宮参拝

期日 令和元年7月3日(水)4日(木)

・お一人様 16000円 (1泊3食・フェリー料金込み)
・定員 200名
・正式参拝は、男女ともに正装でお願いします。

★申込先・問合せ先★ 
 神宮神御衣御料所          
 田原市亀山町岡山                       
 TEL.FAX 0531-35-6606 

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『椰子の実』を唄う。

渥美半島観光ビューローのブログをご覧の皆さま、こんにちは♬
いつも、渥美半島観光ビューローのブログをご覧いただき、ありがとうございます。


 今日、ご紹介するのは、先日の『愛のココナッツメッセージ Part.32』イベントでの、とても素敵な一幕です。
ちょっと長文になりますが、どうぞお付き合いください♬

 やしの実流しの懇親会のなかで、素敵な歌声をご披露いただきました。
 歌ってくださった方は、大中香代さん
大中さんは、このイベントのきっかけである、唱歌椰子の実』を作曲された、大中寅二さんの奥さまなのです。
会場の全員に、『椰子の実』の歌詞が配られ、みんなで合唱させていただきました。
 私も幼少の頃から、幾度となく『椰子の実』を歌ってきましたが、こんなに温かい気持ちで『椰子の実』を歌ったことは、初めてでした。
島崎藤村、大中寅二さんを想いながらの『椰子の実』の合唱。。。
本当にとても素敵な、あたたかい時間でした。
 また、大中さんは、ご出身の母校で、こんな会談もされていらっしゃいます。

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このページを見ていただいたご縁に、ぜひとも♬
抒情詩『椰子の実』、唱歌『椰子の実』のことを、皆さんに知っていただけますと嬉しいです♬
『國民歌謠』第三輯 日本放送協會ラヂオ・テキスト(昭和十一年十一月五日発行)に収録の歌詞。
 「實」「舊」など旧漢字が使われています。


【島崎藤村と柳田國男の関係】
 島崎藤村の親友の柳田國男(やなぎたくにお・のち民俗学者)は、東京帝国大学(現・東京大学)の学生の時、知り合いの画家から風光明媚な地と聞いた愛知県渥美半島の伊良湖で一ヶ月余りを過ごしました。
 
 ある日の早朝、伊良湖岬の恋路ヶ浜で、南の島から黒潮に乗って何年もかかって浜辺に打ち上げられている椰子の実に遭遇しました。
 帰京して、その感動を島崎藤村に話した所、心を動かされた藤村は、椰子の実の漂流の旅に故郷を離れて居を転々としてさまよう“漂泊の詩人”である自らの憂いを重ね、この詩を書きました。
 詩の五~七連には、特に藤村の思いが込められているように思います。
 
 明治三十三年(1900年)、雑誌『新小説』六月号に「海草」という総題の五篇の詩の一篇「其二」として発表しました。
翌年、詩集『落梅集』(明治三十四年八月二十五日、春陽堂刊)では独立した作品「椰子の実」として収録。
 柳田國男は民俗学者になる以前は、松岡國男という詩人で、島崎藤村とは新体詩の仲間でした。
官界に進んだ後も、島崎藤村、山田花袋、国木田独歩、蒲原有明など文学者との交流は続きましたが、大正時代に入ってから、当時の文学、特に自然主義や私小説のありようを次第に嫌悪するようになっていったそうです。
 東京帝国大学では農政学を学び、農商務省の高等官僚となった後、講演旅行などで東北を中心に地方の実情に触れる内に次第に民俗的なものへの関心を深めていきました。

  柳田國男著『海上の道』(筑摩書房)昭和三十六年(1961年)七月発行に、「椰子の実」や「島崎藤村」の事などの経緯が詳しく書かれています。

 【柳田國男著『海上の道』】岩波文庫24 ・25ページより抜粋】
 “途方もなく古い話だが、私は明治三十年の夏、まだ大学の二年生の休みに、三河(みかわ)の伊良湖崎(いらござき)の突端に一月余り遊んでいて、このいわゆるあゆの風の経験をしたことがある。(中略)
 
 今でも明らかに記憶するのは、この小山の裾(すそ)を東へまわって、東おもての小松原の外に、舟の出入りにはあまり使われない四五町ほどの砂浜が、東やや南に面して開けていたが、そこには風のやや強かった次の朝などに、椰子の実の流れ寄っていたのを、三度まで見たことがある。
一度は割れて真白な果肉の露(あら)われ居るもの、他の二つは皮に包まれたもので、どの辺の沖の小島から海に泛(うか)んだものかは今でも判らぬが、ともかくも遥かな波路を越えて、まだ新らしい姿でこんな浜辺まで、渡ってきていることが私には大きな驚きであった。
 この話を東京に還(かえ)ってきて、島崎藤村君にしたことが私にはよい記念である。
今でも多くの若い人たちに愛誦(あいしょう)せられている「椰子の実」の歌というのは、多分は同じ年のうちの製作であり、あれを貰いましたよと、自分でも言われたことがある。
   そを取りて 胸に当つれば新たなり 流離の愁ひ
 という章句などは、もとより私の挙動でも感懐でもなかったうえに、海の日の沈むを見れば云々の句を見ても、或いは詩人は今すこし西の方の、寂しい磯ばたに持って行きたいと思われたのかもしれないが、ともかくもこの偶然の遭遇によって、些々(ささ)たる私の見聞もまた不朽のものになった。”


 【「あゆの風」について】
 「あゆの風」は「東から吹く風」「あゆ=東風」のこと。
文中には「東へまわって」「東おもての」「東やや南に面して」と、東から浜に吹く風を思わせる描写があります。
  例・「英遠(あお)の浦に寄する白波いや増しに立ち重(し)き寄せ来(く)あゆをいたみかも」 (万葉・一八・四〇九三)
  訳・英遠の浦(=富山県氷見(ひみ)市北部ノ海岸)に寄せる白波は、ますます立ち重なって打ち寄せる。東風が激しいからだろうか。
 百田宗治作詞、草川信作曲の『どこかで春が』の歌詞には、「山の三月、東風(こち)吹いて」があります。
この場合の「こち=東風」は、春風のことです。俳句では春の季語です。
「東風(こち)」は、現代の子どもには理解できない言葉になっているので、小学校の教科書では「そよかぜ」と改作した歌詞を掲載しています。「東風(こち)」と「そよ風」では詩から受けるイメージが違います。
「東風(こち)」の説明文を添えて、原作のまま歌わせてほしいものですね。
  例・「東風吹かばにほひおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて春を忘るな」 (菅原道真が左遷された時の歌)。
  【「明治三十一年」説について】
 まず、柳田國男著『海上の道』に「明治三十年の夏」「大学二年生」と書かれている事実は動かしがたい。それなのになぜ、「明治三十一年」説があるのでしょうか。
  これは、柳田國男の年譜を見ると理解できます。大学への入学年が「明治三十年」になっています。つまり「明治三十年」は「大学一年生」です。
 そして、東京帝国大学で一年を終えての夏季休暇・・・ということで、明治三十一年だと推察されますよね。 

※では、内容を戻します。

  “柳田國男が「伊良湖岬」の漁村に滞在したのは、明治三十一年(1898年)七月、夏の一ヶ月余り(約五十日間)で、
東京帝国大学で一年を終えた夏季休暇の時であった。
 柳田に「伊良湖岬」を紹介したのは、当地出身の画家の宮川春汀
で、彼の語る故郷の素朴な民情に心を引かれた柳田は、伊良湖村の小久保惣三郎の離れ座敷に仮寓し、夏期休暇を送った。
 滞在中、一夏にわたって近在の村々や神島へと足を伸ばし、風景明媚な自然や、素朴な村人たちとも親好を深め見聞を広めた。
「恋路ヶ浜」に流れ着いた「椰子の実」を見つけたのはこの時の事だった。「椰子の実」は島崎藤村が執筆した詩である。

 一八九八年(明治三十一年)夏、東京帝国大学二年生だった柳田國男がこの地に一ヶ月滞在した時、
「風の強かった翌朝は黒潮に乗って幾年月の旅の果て、椰子の実が一つ、岬の流れから日本民族の故郷は南洋諸島だと確信した」といった話を親友だった藤村にし、藤村はその話にヒントを得て「椰子の実の漂流の旅に自分が故郷を離れてさまよう憂い」を重ね、この詩を書いた。
 一九三六年(昭和十一年)七月、NHK大阪中央放送局で放送中だった「国民歌謡」の担当者が、作曲家の大中寅二を訪問しこの詩に曲を付すよう依頼し、曲が完成した。”


 また、椰子の実をひろった柳田國男が逗留した網元の家(柳田は離れ座敷を間借りしていた)は、現在・伊良湖シーパーク&スパの敷地内にあるんだそうです。
 ★「日本民俗学の父 柳田國男逗留の地碑」は、伊良湖シーパーク&スパの入口の所にあります。

【歌曲「椰子の実」の誕生の物語】
「椰子の実」は島崎藤村が執筆した詩である。
一八九八年(明治三十一年)夏、東京帝国大学二年生だった柳田國男がこの地に一ヶ月滞在した時、
「風の強かった翌朝は黒潮に乗って幾年月の旅の果て、椰子の実が一つ、岬の流れから日本民族の故郷は南洋諸島だと確信した」
といった話を親友だった藤村にし、藤村はその話にヒントを得て「椰子の実の漂流の旅に自分が故郷を離れてさまよう憂い」を重ね、
この詩を書いた。
一九三六年(昭和十一年)七月、NHK大阪中央放送局で放送中だった「国民歌謡」の担当者が
作曲家の大中寅二を訪問しこの詩に曲を付すよう依頼し、曲が完成した。

今日も読んでくださって、ありがとうございました♬
おかぴでした♪(´ᵕ`๑)۶⁾⁾

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やしの実投流証明書

 渥美半島観光ビューローのブログをご覧の皆さま、こんにちは♬
いつも、渥美半島観光ビューローのブログをご覧いただき、ありがとうございます。

 今日は、『愛のココナッツメッセージ』『やしの実会員』になっていらっしゃる方から、
嬉しいご報告をいただきましたので、紹介させていただきますね。

 先日、やしの実の投流をしてきたことは、皆さまにご報告させていただきました。
実はこの際、「やしの実を投流してきたことをご報告するお葉書」を、石垣島からお出しします。
 そして今日、やしの実会員の方から、『投流証明書が届きました~♬』と、ご丁寧に、お喜びのご連絡をいただいたのです‼
『今年、このイベントを新聞で知って、恋路ヶ浜に流れ着いたら素敵だな~と、やしの実会員に申し込み、やしの実を購入してみました。恋路ヶ浜に届くの、楽しみにしてます♬』
と、弾んだ、嬉しそうなお声。
『あ、すでに届く前提で話してますね~。図々しいですね~私♬』
いえいえ、とんでもないです。そのお気持ちが、幸運を呼び寄せるんだと思いますよ。
 
ご連絡をいただいた私たちまで、思わず笑顔になりました。
元気をおすそ分けをいただいたような、そんな気分です。
ありがとうございました♬
 
 夢と浪漫と、元気をもらえる『愛のココナッツメッセージ』事業。
今年度の受付はすでに終了していますが、ご興味がある方は、ぜひ来年度、ご応募くださいませ。

(石垣市♡田原市の背景と歴史)********************************

「♪名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実ひとつ♪」という島崎藤村の抒情詩。

明治31年のこと。民俗学者の柳田國男(当時は松岡國男)が渥美半島を訪れた際、

恋路ヶ浜で拾った椰子の実の話を、親友である島崎藤村に語り、この詩が生まれたといいます。

 この後、昭和11年の大中寅二の作曲により、国民歌謡として広く愛されるようになりました。

 渥美半島観光ビューローでは、この詩を再現しようと、名も知らぬ遠き島を沖縄県石垣島に見立てて、毎年6月頃、椰子の実を投流するイベントを行っています。

1988年から始まる「やしの実投流事業」を通して相互の交流関係を深め、現在に至ります。
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 今日も読んでくださって、ありがとうございました♬
おかぴでした♪(´ᵕ`๑)۶⁾⁾
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